scene3
 月明かりはなかった。
 夜活気づくこの町の、通りの方がよほど明るく、暗い山に光る川が流れているような夜である。
 川の光に下から照らされて、二人の姿はあった。
 片方は笑いながら足を引きずり、片方はゆらめきながら目を伏せていた。
 片方は夜を燃やすような黄色の影であり、片方は夜を吸うような白い影だった。
 片方は帰ってきた。
 片方には――。

scene3.1
 僕はただ愛されたかったんです、という語りは、無視された。
「僕はずっと見ていました」
「あの部屋から意識だけ抜け出るようになって、最初はそれだけでよかった」
「暖かい陽の光、綺麗な花、きらきら光る水、人の声、賑やかな足音、ああ」
「僕はそれらが本当に好きだった」
「そしてあなたが羨ましかった」
「同時に憎かった」
「ひょっとしたらあなたは僕だったかもしれない」
「あなたは僕よりもずっと前からここにいたけど、でも」
「――何故、僕が?」
「ねえ僕はただね、本当に――愛されたかったんデスよ」
 という語りは、無視された。



scene3.2
 御託をきいてやるほど優しかねえぞ。
 俺様は今とにかくお前を一発殴ることしか考えてない。


scene3.3
 あなたなんかより僕の方がよっぽどうまくやれるんだ。
 だってあなたは愛さないけど僕は愛しているんだから。


scene3.4
 屋根の上は少しだけ風が強く吹いている。
 白い影が手にしていた扇を投げつける動作で開くと、それは元の三倍ほどの大きさになった。
 ――狙うなら頸。
 暗い洞穴のような目で、それでも目の前の黄色い影を鋭く捉える。
 あの時は不意打ちだから上手くやれた。今回はどうだ?
 どうだも何も、やらなければならない。
 右足を半歩下げて軽く曲げる。正面から飛び込んでも返り討ちにあうのはわかりきっていた。
 左から回って薙いで討つ、そう決めた。
 足を引きずっていることが唯一の隙だ。そこに賭ける。
 ――討てなければどうなるか、それだけをバネに、跳んだ。


scene3.5
 跳んだ影が正面ではなく右から接近してきたことは彼の予想の範囲内だった。
 と、言っても彼の予想外、は相手が近づいてこないまま逃げる、ということのみだったが。
 ――ソウダオ前カラ来イ。
 足が痛くて動くのが面倒なのだ。
 扉を蹴破ったことにはしゃいでここまで飛んできたが、それも悪かった。
 それでも、彼はそれを恐れない。
 見た目の印象を裏切るスピードで白い影は彼に襲い掛かった。
 風が巻き上がり、扇が通りの灯りを受けて燃えるように光る。
 だが彼はそれを見ない。
 彼の目は白い影の顔だけを捉えていた。顔の位置だけを捉えていた。
 白い影の表情など知るものか。
 白い影は瞬間目を閉じ、風に流していた手を返し、そしてその手の、扇を。
 扇を――。


scene3.6
 べき、と乾いた音が響いた。
 扇の骨が折れる音である。
 彼は扇を避けなかった。避けずに受けた。――その頸で。
 白い影は元から大きな目をさらに見開いたが、彼はそんなものとは関係なく、笑った。
 拳の用意はすでにできている。
 ――受ケ取レ。
 図らずも白い影と同じ手の動きになった。
 ただ彼は手に何も持たない。固い拳があるだけだ。
 白い影は声も上げず宙を舞った。


scene3.7
 ――ああ僕の負け。
 これで、終わり、なんだ。


scene3.8
 僕は、ただ、愛されたかったのに。


scene3.9
 そして新しい朝が来る。


scene4