震える骨


 女の身体から生えた『腕』には、ずいぶん無駄な部分が多いような気がした。

「それは何だ?」
「自分でもよくわかりませんの」

 女が答える合間にも『腕』は成長しているようだ。
 土台を整えるよりも速く、末節が伸びようと伸びようとしている。
 貧弱なまま拡がっていく骨格は酷く弱弱しく、軋んだ音を立てていた。
 小鳥の骨を連想する。

「生えるからには必要なものですわ」
「そうだろうか」
「生き物はそのようにできておりますの。進化をするにあたって不要なものはとりのぞかれ、変化し、対応し、洗練され、縮小されていきますわ」
「今のお前は拡大しているよ」
「必要なことなのです」
「お前は自然の生き物ではないだろう」

 女は顔を上げた。
 笑っている。
 笑っている以外の表情を知らない。
 私が知らないのではない、おそらく、女が、知らない。
 瞳から表情は見えない。
 女の瞳は光を返さない。

「――私」

 めずらしく女が一呼吸置いた。

「私実験体ではありますけれども、失敗作ではありませんわ。こうして生きております。こうして動いております。声を聴き、話し、鳴き、走り、轟き、戦い、傷つき、舞い、理解り、思い、歩き、そう見ております。私はしかと見ておりますわ、この目に映る全てを余すところ無くあなたもあなたのまわりのものもわたくしのまわりのものもわたくしがなぜそのようであるかわかりますかわたくしにはわたくしのかんがえがあるのですたしかにけれどそれをはなすことをわたくしはずいぶんながくとりやめたようにおもうのですがそれがなぜかはもはやおもいだせることではなくわたくしはわたくしはただまっとうにひたすらにそうしてきたのでございますがはたしていまとなってはそれがただしかったのかどうかすら

 女は止まらない。


 安心させておやりよ、と提案された。
 嘘というのはいついかなるときでも悪ではないよ、と彼は言う。
 嘘、というか、私がそれを判断するにあたって材料が実に足りないのだ。
 根拠のない断定は間違いの元だ。
 それでもときには必要なんだよ、それはちょっとした親切ってものだよ、と彼は言う。
 間違いは起きたときに考えればいい、と。
 だいいち、少し可哀相だと思わないかい、と言って彼は顎で女を示した。
 女の言葉は歌うように高低と節をつけて未だに続いている。
 顔は笑っているが目は虚ろだ。いつでも虚ろなのだ。
 瞳孔が大きすぎてどこを見ているのかわからない。
 あの黒い中から無数の眼がこちらを覗き見ているように感じられて直視しがたい。
 女は気味の悪い生き物だった。
 だが、それを理由に彼女を嫌ってはない。

「お前は失敗作ではないだろう」

 女はまた顔を上げた。
 口を閉じている。
 それだけでいくぶんかまともそうに見える。
 が、次の瞬間にはまた網にかかった三日月のような口を見せてくる。
 尖った歯と歯が隙間無く並んで門のようだ。
 女は笑った。

「お役に立てておりますか、私」
「ああもちろんだ」

 これも真実ではないが、だからといって嘘にはならない。
 女は笑った。
 肩を震わせると、やはり骨は軋んだ音をたてた。

2006/10/15
インブリウム ケトレー







 その日の彼女はいつまでもぐにゃぐにゃとしていた。
 時々甲高い笑い声や嬌声が聞こえた。
 呟く言葉は耳に不快で不可解だった。意味が通らない。。

 ずるずるとひきずるような劣悪な感情というか、環境というか、感傷というか――まあそういったものですわ・ああ・悪いことはいつも立て続けに起こる・何かを引き金にするように・あるいは呼び水とするように・私の身体から・あふれる様々なものは・だらだら・と・絡み・つな・が・り・あ・っ・て・ときどきこのようにあふれでるのですわわわわわわわわわわああああああああああわあああああああああ

 女の声はそのまま遠くなって肉の塊ばかりそこらに落ちていた。
 少し苦笑う。

 後に訊いたらあれは脱皮のようなものだという。
 背中から不要なものを吐き出して整えてまたしまうのだという。
 本の虫干しのようなものかときいたらそれも似ていますわねと答えた。
 お見苦しいようでしたら外で済ませて参りますわと言うので、少し考えたがそうしてもらうことにした。
 彼女は時々いなくなる。
 どこに行っているのかは、よく知らない。

2006/10/20
インブリウム ケトレー




あたたかい手


 蜘蛛の放った光弾が、再び彼女の目を焼いたのは、さあ、そのときだ。
 その弾は彼女の瞼に届いた瞬間破裂した。辺りに火の粉のようなものが飛び散りにわかに明るくなる。
 衝撃を受けた彼女は大きく後ろにのけぞった。顔の左側から煙があがっている。その元が光弾の残滓なのか彼女の皮膚そのもののなのかはわからない。
 両手で隠されたそこは赤黒くなっている。
 液体が伝う。
 涙でも血でもあった。
「もうやめよう、引き際だ!」
 傍らの友の制止をそれでも聞かない。
「次で終わる」
 蜘蛛は姿勢を直してまた彼女に向き直っていた。無機質な目は黄色く輝くだけだ。
 口元がざわついている。――三撃目はすぐにやってくる。本のページを繰る暇はない。
 彼女は胸元に光る紫の珠を掴んだ。
「私の言葉、私の願い、私の知恵、私の命令、私の返答、私の既知――」
 左の視界は赤い。そうして暗い。
 目の前の蜘蛛と同じ色だ。
 右の視界も滲んでいる。痛みに体が反応している。
 だが彼女の目は蜘蛛をとらえている。
 目を離すな。目を離すな。
「/storm」
 呪文を叫ぶ。
 叫ばなければ震えて消えそうだった。
「お前に!」
 風が止まった。
 そして、




「……本当にすぐ治るのかい」
「うん問題ない。そんなに深い傷じゃないんだ、見た目よりは」
「君がそういうなら、僕は信じるよインブリウム」
 かすかに粘膜をまとう手が、額に添えられる。
「でも心配はいつだってさせておくれね」
「すまない」
「いいさ、僕ら友達だろ?」
 かすかに笑い声。だが死角に立つ彼の顔は見えない。
「お前の」
「うん?」
「お前の手は湿っていて冷たいな」
「褒め言葉だね? ありがとう」
 ひたいのうえをつめたくぬらす。

「僕の手がもう少し大きかったらよかったよ」

 ひたいのうえをつめたくぬらす、あたたかいて。

2006/11/23
インブリウム ディイ


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