猫の日


 少年はそのとき、箱に入ったオモチャのようなものを、一つ一つ並べていた。丁寧に。小さな島の中で、大きな体が、ちまちまと手を動かしている。
 小さな像、プランターのような島。一つ並べるごとに、横に置いた看板にそれを足していく。といっても少年は文字を描かない。カラフルなチョークで絵を描いていた。普段の彼はそういうことは人に任せきりなのだけれども……。
 そうしてその横に、模様のように文字を描いていく。文字は二種類で、かろうじて判別できた。『2』と『d』。
 ひとつ、ひとつ並べていって、次に彼はビー玉を取り出した。買ってからだいぶたつが、あまり汚れていない。赤い螺旋の入ったビー玉を、彼は光に透かしてみた。
「……きれい」
 そうして彼はそれを下に置いた。激しすぎる色はなんだか恐い、ような、そんな気がしている。
 置いたビー玉は彼を振り切って転がっていった。声を出す暇もなく、ああ、少年はビー玉をただ目で追っていく。
 そうしてそれを、新しく現れた誰かの手が拾い上げた。
「あ」
 そこで初めて彼は声を出す。知った相手だった。ただそれほど話したことはなく、だが、慣れた気がしたのはその少女が彼と同種だったからだろう。
 今は違う、ことは彼も知っている。
 昔彼と同種だった少女は、彼にはない大きな耳も動かして笑った。
「落としましたよ」
 甘い匂いがする。
「うん……こん、にちは」
「こんにちは」
 彼女は彼のそばまでやってきて、そこにしゃがんだ。看板と少年とを見比べ、ビー玉を差し出しながら言う。
「出品中なんね?」
「しゅっぴん……」
 少年は彼女の言葉をおうむ返しする。腹の口が『ん』の字を描いたまま止まる。
「ん、と」
 別に首を縦に振ればいいだけなのになあ。そして本人もそれをわかってるんじゃないかしら。
 と、少女は考える。
「これも売り物なん?」
 そして質問を変えた。少年はやはり少しの間止まり、ただしそれは言葉の意味を図る間ではなく、質問自体にはすぐに答えた。
「うん。俺には、なくても、だいじょうぶ……だから」
「ふうん、そうかあ」
 少年の手が伸びてこないのをいいことに、少女はビー玉を光にかざす。赤い螺旋は彼女の顔にも影を落とす。
「そういえばうち、ビー玉て持ってへんなあ」
「そう……なの?」
「うん。これ、いくらかな?」
 少年は少し笑ったようだった。看板を指す。
 看板に描かれたものを見て気付かれない程度に首をかしげた少女に、思惑通り首をかしげていることには気付かなかった少年はゆったりと言った。
「に……ひゃく、にじゅう、に」
「えっ安っ」
「猫の日、かかく……」
 猫の日? 少女は日付を確認した。そうして納得する。
「にゃんにゃんにゃん、と」
「う、ん。にゃんにゃん……よく、わからない、けど。でも、俺、そういうの……いいと、思う、よ」
 ゆっくりとうなずきながら、少年は目を閉じている。猫そのものはよく知らないが猫の話と猫によく似た生き物らのことは知っている。ふわふわしたもののイメージ。
「なら、」
 少女の声をきいて、少年は目をあけた。
「うち、これ貰おうかなあ」
「ん……うん。ありが、とう、ござ、い、ました」
 少年は座った姿勢から、前かがみになるようなお辞儀をしてみせた。その目の前に、宝石がおかれていく。
「お礼言いたいんはこっちやなあ。この値段やったら貰ったのとおんなしやわ」
 ぼんやりとその言葉を飲み込む少年に、少女が笑う。わさわさと揺れる赤毛を見ながら、少年は瞬きをした。
「それ、は……おねえちゃんと、同じ色、だから」
「うん?」
「飾ったら、きっと、似合うよ」
「そやねえ。ふふ、おおきに」
 そんな会話をして、うなずきあう。それからふと、少女が口を開いた。
「ああ、今度、お菓子持ってきてあげよな。お礼」
「おか、し?」
「うん」
「……いい、の?」
 遠慮がちに訊いた少年の、眉は下がっていたが、口元は笑っていた。
「ええよ。どんなんがええかな」
 そう訊かれた少年は、少女を、正確には少女の口元を見る。しばらく考えてから、言った。
「はちみつ……」
「はちみつ? それがええの」
 少年は首を縦に振った。少女からは甘い匂いがしている。はちみつの匂いだ。
 ああ女の子はそういうものでできてるんだ、と少年は思って、思っただけで口には出さなかった。
「ほんなら、今度作ってくるな」
「うん、うん……わーい」
 手のひらを音が出ないくらいにそっと叩き、少年は少年なりの喜びを精一杯表している。少女はそれを見てやはり嬉しそうに笑った。
 少女が笑うとはちみつの匂いがする。
 それはなんだか素晴らしいことだ、と、少年がゆっくりゆっくり説明し始めるのを、少女は静かに聴くことにした。

2007/2/27


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