死に続ける 浜辺に死体が打ちあがったというので姐さんと見に行った。 同族の死体を見たことがなかった私の目には、砂に打ち伏す姿が異物に見えた。 手が届くようなところまで近づいて眺めた。冬の潮風が目を刺した。 ふ、と、それがかすかに動いた。 ぐるり、見慣れた動作でかすかにまわっていた。 見間違いでも何の作用でもなく、姐さんに尋ねれば黙ってうなずいた。 「私たちはまだ動くの」 「そうよ」 「どうして」 「さあ。まだここにいる、と言っているのかもしれないわね」 かざぐるまでもなし、それでもかすかに動いては止まる。 それきり動かない、目を離して、見ると、また。 終わりの瞬間を繰り返し繰り返し見せ続けて、私たちというのは実際何を考えているのかわからない。 波打ち際に漂う冷たい手に花を乗せてやる。 死というのは何となく夏の風物詩に思っていたがそうでもなく、冬でもそして冬でなくてもそれは起こるのだ。 よく眠るようなとたとえるが私たちにそれは当てはまらない。私たちはこんな風には眠らない。 死がそれほどまでにわかりやすいのに、何故私たちばかりこんな風に繰り返し終わるのかわからない。わかりやすいからだろうか。わからなくさせるためだろうか。ほかの眠る誰それのように? 冬の気温は冷たくて空気が死んでるようだった。 悪意はないが私たちを殺す気なのがよくわかる。 かよわいふりをして家の中に逃げ込まなければ、夏と違ってばかではなくって生真面目すぎるので、死んだものにも容赦なく何度も死を与えるつもりで、冬というのはひたすらに冷たい。 2006/12/16 一ツ橋 ドラム 格安で手に入れた洗濯機は微妙にレトロな雰囲気だった。とはいえ家で使っていたのと大差ない、それを、私は勘で動かすことに成功した。ゴウンゴウン、はは、うるさいなこれは。近所迷惑かしらん。薄い壁で壁向こうの会話は筒抜けだと思う。思うというのは幸いにもここが角部屋で隣室は空いているからだった。ついでに二階だ。階下の声は案外に聞こえる。壁だけじゃなくて天井も薄い。ああそうだ、隣なんかより下のほうがこの洗濯機の音はよく聞こえるんじゃないだろうか。よくというか悪くきこえるんじゃないだろうか。はははまいったなああとで謝りに行こう。ゴウンゴウンゴウンああうるさいなあ。 なんとなく眩暈がするようなそんな気分だった。眩暈? 日射病に似ている。日射病に。でも今は夏じゃないじゃないか。じゃないじゃないじゃないじゃないじゃないじゃないか。ああ。ゴウンゴウンゴウンゴウンそうだこの音がいけないんだこの音が思い出させるから、何を? ええと何だったっけ。こんな大きな音、ゴウン、耳障りだなあこれ、ええと、何? 何だって? 何だっけ。だから、誰か、ええと。ええと? ねえこれなんだっけ? 答えがない。何、テレビ見てる? 違う、今誰もいないんだっけ。誰もいないのは恐いよ。恐い。ゴウンゴウンなってるもの、誰もいないのはいけない、私一人だと、ゴウン、だめだこれはだめだ、誰か、だって、この音は。 「――ごめん、ちょお洗濯変わってくれん? むしろ半永久的にお願い」 「はぁー? 何? なんで?」 口で嫌がりながらもすぐに変わってくれた同居人はやっぱりいいやつだ。というか人はいた。いた。よかった。うん。頭痛と腹痛と倦怠感に悩まされる一週間が近いんだということを思い出した。多分そのせいだから、まあ、洗濯くらいなんとかしてみせよう。今だけだろう、こんなのは。やるべきことがあるんだという使命感を感じていれば、大抵のことには構う暇なんかなくてがむしゃらにそのときそのときでクリアできる。そういうものだ。口で大丈夫というのはとても簡単だし言うのはただなんだと体が丈夫になるにつれ理解していった。 それにしたって、 (あれは私の心臓の音に似ている) 嫌なことを思い出した。 バイトの給料をためて真っ先に買いなおした。 同居人は不思議そうな顔をしていた、買ったばっかりなんに、なんでじゃ? 私は新しく買った洗濯機みたいに静かにしていた。 怖いことを共有してもよかったけれど何事もなかったかのようにすごせばそっちが本当になるような気がしたんだ。 2006/12/19 天見 ぱらそる(プロトタイプ) 彼女とAは長い付き合いで、それこそ彼女がこの世の中に生まれて名前を与えられるよりも前からの付き合いだった。 彼女の名前はぱらそるだった。しかしそれも彼女がつけた名前だ。ああ彼女はパラソルになりたかったのだ。あの、水玉模様のパラソルに、パラソルに……。 その彼女に対してAは言った。Aは彼女のことを何でも知っている。のだ。 「君はパラソルじゃない、君はパラソルになれない。君は、何かと言うと、正しく答えを出すならば、アメノヒグラシってものだ。それも、もうすぐに」 ぱらそるは言った。Aもぱらそるも、ここではぱらそるの正しい名前を呼ばない。呼べない。 「ぱらそるには何が降りますか? 雨です。雨が降ります」 ぱらそるは答えを出さないのがいつもだった。彼女は答えを持たない。答えを持たない。持たない。 Aは彼女を見て言った。 「ああ……君は相変わらず可哀相だ。そしていつもそうだ。それでいいと思っているのか、本当に?」 Aは考えている。考え、言った。タイトロープを風が揺らしている。 「ここでは君は自由なんだろう。自由なら自由なリに話したらどうかと僕は思う。思うだけだ」 ぱらそるは応えた。 「そう? そうかなそうかしら。本当にそうなのかしら?」 彼女は疑念的で、否定的だ。 「私は本当は酷く不自由であると思っている。制限された箇所での自由にどれほどの意味があるのかわからないからである。私は不自由なのだ」 続ける。 「……だから私夢の中に住むのよ。出来うる限り永遠に」 叫んだ。 「今はこの世界を美しく保とうとしているの! できる限りよ!!」 Aは嘆くほかないのだ。 「僕は君を哀れに思ってやまないよぱらそる。君が本当に存在しているのかもう僕にはわからなくなってしまう」 ぱらそるは夢の中の住人になろうとしている。 それを生きている者がどう呼ぶのかしらない。 知らないがそれは永遠であると彼女は信じている。 それがいつからのことで、どうやってはじまったのか彼女は覚えていない。本当に覚えていない。 忘れてしまったというより、思い出してはならないことであると言った方が近い。と、いうのも、ある種の境界であるものを明確に見極める時には、その境界の上に立つものもやはり分断されてしまわなければならないからである。 夢にそれは似合わないとぱらそるは、いやAは、あるいは――彼女は知っていた。 だからぱらそるは覚えていない。 Aは知らないふりをしている。 ぱらそるは自由に島を渡り歩き空を飛んだ。黄色のパラソルに黄色のピエロの姿、愉快なカチューシャは空を飛んだ。飛んだのだ。 お腹もすかないし疲れもしない。 喋らない。という。一つの――制約の元で、彼女は一切の不自由から解放されていた。 ただ少しだけ眠った。 夢の中でぱらそるは虹色の空間をタイトロープに乗って過ごす。なぜか。なぜだろうか。 そこでだけぱらそるは自由に話した。もっぱらの相手はAである。 Aは常にぱらそるのそばにいたが、彼女が眠っていないときは口を開かなかった。 夢の中でAはいつも忠告をした。 だがその忠告の大半は彼女にとって無意味だった。彼女にはAの言うことがわからなかった。わからないふりをしつづけることが必要だった。 生き物にとっての時間は有限であるが、 時間を刻み続けることは、 無限に可能である。 一秒。十分の一秒。百分の一秒。千分の一秒。万分の一秒。億分の一秒。 無限に時間を刻み続けることで、有限であったはずの時間は、ほぼ無限に与えられつづけることになる。 時間を止めることはできない、が、遅くし続けることは――。 ああだから彼女はそうあろうとしている。 夢の中の住人になろうとしている。 身体を永遠に眠らせて滞らせて、精神だけを自由に解放しようとしている。 ぱらそるはその意識だけを持っている。 「私夢の住人になるのよ」 Aは否定する。ぱらそるではない、彼女を。 「君はそれでいいなんておもっちゃいけない」 ぱらそるにわからない。Aは彼女に言葉を伝えることは不可能だろう。 ゆるやかに死んでいく体がどこかにある。 夢を見ている。 誰も知らないが夢を見ている。 それを人がなんと呼ぶのか知らない。 2007/2/22 レインボウ |